【ときは江戸時代】その時ベトナムでなにが?

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江戸時代、ベトナムのホイアンには300人以上の日本人がいました。

彼らは朱印船貿易で日本へ香木を輸出するためにやって来た商売人!

当時、香木は超高級品でときに金よりも価格が高騰することがありました。

がっぽがっぽと香木マネーを手に入れる商人たち、いっときはその人数1000人以上になったと言います。

今で言うところのビットコインマイナー!投資家!!はたまたVALUのユーザーみたいなものでしょう!

しかし、17世紀、日本国内では外国と関わっちゃダメ、あのうちの子と付き合うと不良になるわ!という幕府の考えで鎖国をする方針になりました。

ベトナムにいる日本人香木マイナーたちは、「いやいやいや、香木取引とめるとか、マジないっしょ次世代の金やで」。とたかをくくって帰りませんでした。

その後、幕府は本当に鎖国!19世紀まで日本はながーーーくに渡り外国との交流を制限することになり。日本人香木マイナーたちは母国に帰れなくなってしまいました。

それゆえ、ベトナムのホイアンには伊勢うどんによく似た料理をはじめとした日本料理のようなベトナム料理が数多くございます。日本人が住んでいた日本人街のエリアの日本橋は有名な観光スポットになっております。

帰れなくなった日本人は後悔したのか、それなりにベトナムで楽しく過ごしたのかわかりませんが、最後に一句。

ホイアンとvaluを重ね、かぜあざみ。

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