パニック障害という病気を知ってるかい?
パニック障害は、突然起こる激しい動悸や発汗、頻脈(ひんみゃく:脈拍が異常に多い状態)、
ふるえ、息苦しさ、胸部の不快感、めまいといった体の異常と共に、
このままでは死んでしまうというような強い不安感に襲われる病気です。
パニック障害は神経障害のひとつですが、発作を伴います。息苦しさや不安感などを感じ、時には「死ぬんじゃないか」と本気で思うほど激しい症状に見舞われる病気です。
今でこそ、堂本剛さんや長島一茂さん、大場久美子さんがパニック障害に罹患して克服した体験をTVを通して伝えたことで世の中的な認知度が上がっていますが、15年くらい前まで患者は多いけれど、あまり認知度の高い病気ではありませんでした。(昔はメンタルヘルスへの関心もそこまで高くなかったですしね。)僕がパニック障害になったのは14年前。僕がまだ中学生のころでした。
突然、めまいと不安に襲われる
僕は自分で言うのもなんですが、マジメな性格で責任感が強いほうです。パニック障害になりやすい性格ドンピシャなんですね。
それで、中学校の時、授業を受けていたら突然、天井と床がぐにゃっと曲がるような感覚に襲われました。「ん?なんだ疲れているのかな?」その日は何がなんだかわかりませんでしたが、次の日も、その次の日も同じような症状が起きます。「ーーーめまいがする」担任の教師や、親にも話しましたが、「中学生は貧血になりやすいからね、貧血でしょ。ほうれん草食え」で終わりです。今思えば、まったく的外れな回答でしたね。
それから原因がわからないまま症状は悪化していきます。毎日のように授業中にパニック発作が起こります。めまいだけでなく、息苦しさや不安感も出てきました。机に座って授業を受けているだけなのに動悸がして呼吸が苦しくなるのです。時には「死ぬんじゃないか」と思うこともあるほどの苦しさです。
家族や担任に相談しても何の病気かわからないと言われ、内科を受診させられますが、内科の先生も精神科の領域の患者が来ても的確な診断ができず、「強心剤うって様子見ましょう」なんて言ってくる始末です。両親はそのうちに僕に対して「心の弱いやつだ、もっとしっかりしろ」みたいなことを言って解決しようとしました。まあ、その言葉は結果的にあながち間違いではなかったのですが、精神論で解決できる話ではまったくありませんでした。
3年間苦しみぬいた
強心剤なんて打たれても、パニック発作が治る訳ありません。パニック発作の原因は脳内物質の過剰分泌なので、抗不安薬や抗うつ剤などを使って脳内物質をコントロールする他ないのです。
しかし、そんな事知るよしもなく、僕は3年間苦しみ抜きました。授業中にパニック発作が起これば、「トイレ行って良いですか」と教師に行ってトイレに行って落ち着くまで待つ。思春期の多感な時期に授業中にトイレ行くって宣言するのってかなり恥ずかしくて勇気のいることなんですよねw 我ながら当時はよく頑張りました。
不幸中の幸いと言いますか、人間関係には奇跡的に恵まれていました。授業中にトイレ行くことが多くても、集会のときに「貧血です」と言って居なくなることが多くても、いじめられたりハブられたりすることはなく、僕もひとり不安な中で苦しみと戦っていまいたので、自然と休み時間は友人と積極的にコミュニケーションを取りました。
ですので、中学、高校時代は原因もわからないパニック障害で苦しみながらも友人は多く楽しい日々を送っていました。
ただ、症状的にはどんどん重くなっていきます。息苦しさは強くなり、不安感も増します。その極みで過呼吸にもなんどもなりました。外で過呼吸になるととんでもなく怖いです。呼吸ができず、うずくまってしまい。ホワイトアウトしそうになるけれど、できない。地獄の苦しみでした。そして予期不安というのですが強いパニック発作を起こした体験は脳みそに刻み込まれ、同じような場所へ行ったり、その時を思い出したりするとそれだけで不安になって息苦しくなるようになります。
正直、その時は真っ暗なトンネルの中を走り続けているような感覚で、「将来、自分はどうやって生きていったら良いんだろう」と考えていたように記憶しています。
インターネットでパニック障害を知る
当時、世の中的には家庭用のパソコンが爆発的に普及して我が家にもパソコンが来ました。インターネットとの出会いです。
はじめて使うYahoo!という検索エンジン。検索窓で検索したい言葉を打つとその回答としてサイトが表示されるんだ、と聞きさっそく自分の症状で検索をかけました。「めまい 息苦しい」、「動悸 息苦しい めまい」検索結果は、
パニック障害。
すぐに病名が返ってきました。当時のサイトなので今はないのですが、医療情報が載っているサイトでした。両親でも教師でも、病院の先生でもわからなかった、もっとも原因らしい病名がインターネットでわかったのです。この時の感動はいまでも忘れません。僕は「救われた!」と思いました。この経験がインターネットの仕事につながることになります。
勇気を持って精神科へ行く高校2年生
何科にいけば良いのか。インターネットの情報サイトには精神科と書かれていました。「精神科…自分は精神を病んでるのか、なんだか人間として大きな欠陥があるみたいだな」メンタルヘルスの意識がまだまだ希薄な時代だったので僕はそう思ってしまいました。精神科に行くのにとても勇気が必要でした。
しかし、そんなことより何よりとにかく現状を打破して人生を取り戻したい!
僕は勇気をもって精神科へ行きました。精神科は僕が思っていたより普通の病院でした。むしろ、通常の内科や外科などよりも病院の雰囲気があえて消されていていごこちのいい空間でした。
先生に今まで苦しんできた経緯を話しました。問診でいろいろな質問をされ僕は「パニック障害」と診断されたのでした。真っ暗なトンネルを走り続けて、光が見えた瞬間でした。
それから、落ち込んだ気持ちを抑える、抗うつ剤と、不安を抑制する抗不安薬を処方され、毎日2回朝と晩に服用するようになりました。パニック発作が起こってしまったときに頓服する抗不安薬ももらいました。
薬を服用するようになって、徐々に日々の生活からパニック発作が消えていきました。
ただ、3年間も放置してしまったツケとして通常の生活に戻るまでそれから3年くらいかけました。
集合知が大人の知識を超ている・行動すれば環境は変えられる
苦しい期間の中でも学びが2つありました。まずひとつが、インターネットの普及であらゆる人が情報をアップロードすることで集合知という人類史上最も膨大な知識に誰でも触れられる環境にあること。しかもそれを無料で利用できる環境にいることです。
当時、僕のまわりの大人誰にもわからなかったことでも高校生の僕がインターネットにアクセスすることでわかってしまったというのは衝撃でした。インターネットがなけらばいまだに僕は自分がパニック障害だということにも気が付かずに苦しんでいたかもしれません。
そして、行動すれば環境は自分で変えられるということです。当時の僕はまわりの支えで生かされているだけでの存在だったと思います。家族に言われるがまま生活して、高校に進学して高校では先生が言うことを聞いて勉強して、病気で苦しんでいるけれど、まわりの大人が「それは貧血だ」とか「それは気持ちが弱いからだ」と言ったらそれまででした。
しかし、自分で調べて精神科も行くの嫌だったけど勇気を出して行ってみたらなんてことはなく、地獄の苦しみから簡単に抜け出すことができました。自分で考え、行動することで人生は良くなるんだ。という学びでした。
海外で仕事をする
パニック障害で苦しんでいるときには海外どころか、家の近所に出ることさえも不安と恐怖でできませんでした。ですので、海外で働くなんてことは夢のまた夢。自分にとっては”絶対に無理なこと”というカテゴリーに入っていました。一般の人の感覚でいうと一人でキリマンジャロの8000メートルの頂上に登頂成功させるくらい難しいです。
パニック障害が治った今、それをやってやろうと思いました。エゴですが、自分が諦めていた絶対無理を達成したいという気持ちだけです。僕は「海外で外貨を稼げるようになる」というテーマで海外勤務をしています。
そして、パニック障害に今苦しんでいる人の希望に少しでもなったら良いなという気持ちでいます。僕はパニック障害を治療しているときに芸能人のパニック障害罹患者の人の話で勇気づけられました。でも芸能人は芸能人です。どこか一般人である僕達とは浮世の存在な気がしてしまいますよね。自分は一般人の延長でやりたいことを実現してその体験を共有することで希望になりたいと考えています。
僕の体験談を読んだ誰かが1人でも「あ、俺でも(私でも)イケるじゃん!」と思ってくれれば僕はすごくうれしいですし、その気持ち間違いないです。
最後に
もしかしたら、今も世界のどこかで僕のように理由もわからずパニック障害で苦しんでいる人がいるかもしれない。自分の経験がその人たちに少しでも役立てばという気持ちで今回ブログでパニック障害の体験談を公開してみました。パニック障害で死ぬことはないですし、治ります。その先の人生も自分で選んでいくことができます。病気で苦しんでいる人が少しでも良くなることを東南アジアから祈っています。