ブラジル農業の生産性をあげたのは日本人だった?高生産社会のヒント

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今でもサンパウロには日本人街があり、日系ブラジル人のコミュニティも各地に存在しています。
その歴史をまとめたブラジル日本移民資料館で私は、興味深い説明を発見しました。
そこには「ブラジル農業に生産性という概念を持ち込んだのは日本人移民である」と書いてあったのです

ちきりんさんの新刊「自分の時間を取り戻そう」に書かれていた一文です。

ブラジル農業の生産性は低かった

昔日本人移民がブラジルに来たばかりのころにはブラジルの農業には生産性という概念がなかったそうです。

たくさんの農作物を採りたいなら農地を広げていけば良いという発想しかなかったんですね。

しかし、それをやってしまうと人が不足しますし、労働時間を長くしなければいけなくなってしまいます。皮肉にも現代日本のブラック企業問題や長時間労働問題に似ていますね。

  

移民した日本人が生産性の概念を運んできた

そんなブラジルに移民してきたのが日本人でした。明治から昭和初期にかけての日本は貧しく、食っていけない人は国策で海外の人手が足りないところへ出ていったのです。

その一つがブラジル。国土は広いブラジルですが、当時は人口も少なく、開拓の余地があったのです。

日本人の農業を営む人たちがブラジルに入ってきました。彼らは「1つの畑から採れる作物の量」をひとつの指標にして品種改良をしたり、土壌を改良することで生産性を高めようとしました。

当時のブラジル人からみたらそれは異質だったようで、「たくさん作物を採りたいなら畑の面積を広げればいいじゃないか」と最初は笑われたそうです。

ただ、前述したように生産性が低いその方法では長時間労働や人手不足に陥ってしまいます。

いつのまにかブラジル人も日本人の生産性が高い手法を取り入れた農業をはじめてブラジルの農業全体が高生産社会となった。という話です。

  

制約が日本人を高生産性重視に変えた

なんで日本人は生産性が高い手法を採用していたのでしょうか?日本人が優秀だからでしょうか?実はそうではなく、環境要因が大きいのです。

日本は国土が狭いので、田畑を簡単に所有する事ができませんでした。なので、自然と小さい面積でどれだけ多く生産できるかを追求していたのでした。

しかし、現代の日本では生産性が無視された働き方が多いように思います。残業すれば終わる仕事をひたすら早朝から終電までがんばっているひとばかりです。

長く働くからいつまで経っても給料が安く、生産性が上がらないのです。

  

1日8時間しか働かない制約でも成果は出る

以前、ベンチャー企業で働いていたときの話です。

その会社は残業する人が多い職場環境でしたが、金曜日はノー残業デーという取り組みをしていました。

僕も当時はめちゃめちゃ長い時間働いていたのですが、金曜日にはノー残業で帰っていまいた。

その当時は「忙しいのにノー残業デーなんて無理なもの作っちゃってー、余計に忙しいわ」と思っていました。

しかし、不思議なことに金曜日だけは残業しないで帰れちゃうんですね。

定時に帰らなければならないので、徹底的にスケジュールを考えます。


午前中のルーチンワークはマキでやる

今日やらなくていい仕事は気になっても一切手を付けない

資料作成などのタスクには制限時間をつけて徹底

無駄な会議はしない。出ない。



この4つのルールを守るだけで同じ生産性で仕事ができていたんです。

つまり、それ以外の平日は、

無駄なことをしすぎて低生産状態に陥っていました。

それから僕は生産性を意識して、より少ない時間でより成果が上がる方法を考えて仕事をするようになりました。

ベトナムに来てからは強制的に毎日定時退社になりました。ベトナムの社員て定時以降は本当に帰っちゃいますからw

当然、アウトプットが少ない人もいますが、これが過去のブラジルのように高生産型の働き方になったら化けるでしょうね。

がんばっていきたいところです。

  
今日は「ブラジル農業の生産性をあげたのは日本人だった?高生産社会のヒント」というお話でした。さらに詳しく「高生産」とはなんぞや。ということについて知りたい方は下のちきりんさんの新刊をポチッとしていただければ!そんじゃーねー!

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