「ゲゲゲの鬼太郎」で有名な水木しげる先生の訃報が伝わり、驚きました。水木しげる先生といえばネット界隈で有名な画像がありますね。
それが、「睡眠のチカラ」
故手塚治虫先生と石ノ森先生と会食した時のエピソードで
「忙しくて徹夜続きです」という両氏に対して、”睡眠力”の重要性を説きます。
しかし、両氏は早死してしまうという話でその中で水木先生は1日10時間は寝ると言っていました。93歳で大往生というところを見るとやはり睡眠は大事なんだなー。と思うと同時にこのエピソードでは水木しげるという人はマイペースにのんびり生きていた人なのかな。という印象を受けます。しかし、実際は違ったようです。
失敗続きだった青年時代
15歳で境尋常高等小学校卒業。印刷所・版画出版社を短期間勤務(その後解雇)したあと、16歳で精華美術学院に入学。
17歳時に、精華美術学院を退学し、大阪府立園芸学校を受験するも、51人中50人合格のところ、ただ1人の不合格に。
18歳時に、日本鉱業学校採掘科に合格するも、半年後には興味を持てないこともあって中退。
19歳のとき、日本大学付属大阪夜間中学に入学するも、2年後、ラバウル出征のため、自動的に退学。
24歳で復員、日本に帰国。
26歳で、武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)に入学。
しかし、絵で食べていくことの難しさを感じて数年後に退学。
水木しげる先生は若い時かなり学業で苦労したようです。最後26歳で武蔵野美術大学を退学するときには”絵で食べていくことの難しさを感じて”というくらいなので自分の人生と”絵”の狭間で考えたんだろうな。と思います。
遅咲き、漫画家デビュー
1958年に貸本漫画家としてデビュー。「河童の三平」「悪魔くん」などを発表し、「ゲゲゲの鬼太郎」が「週刊少年マガジン」に連載され、妖怪を扱う人気漫画家となり、テレビアニメ化されてからは妖怪ブームが巻き起こった。「ゲゲゲの鬼太郎」水木しげるさん 多臓器不全で死去 93歳
その後、1958年、水木しげる先生実に36歳の時に漫画家デビューです。かなり遅咲きなのではないでしょうか?
僕はそんなにたくさん水木しげる先生のことを知っているわけではないですが、数多くの失敗を重ねキャリアを積んで、最終的に表現者として水木しげるの世界観を世の中に広めた姿には勇気をもらえますね。学生時代に「絵では食えないから就職しよー。」っていうのも難しくはなかったと思うんですよ。でも諦めなかったから、「ゲゲゲの鬼太郎」が生まれた。
僕もブログで自分にしかできない表現・情報発信をして世の中に価値を提供できたらいいなと思いました!
水木しげる先生のご冥福をお祈りします。