Facebookをフランス国旗にしている人に怒る人を気にする必要はない

あれはね、違和感と言うより、はっきり言ってあげた方がいいんです。遠慮なんていりません。はい、みんな声をそろえて。

「やめとけよ、偽善者ぶるの」

付け加えて「ばれてるよ?」とか言ってあげると、さらに効果的です。以下にその理由を書きますね。今回、言いたいことが沢山ある人があると思うのですけれど、その意見はいくつかに分類されるはずです。スポットライト

フリーアナウンサーの長谷川豊さんが「Facebookのプロフィール写真をペイントしている偽善者たちに捧げる4つの視点」という記事の中で、プロフィール画像を変更するのは単なる偽善で、勉強不足な無知な奴らがやることだ。と言っています。

遺族にとって永遠に続く悲しみと傷跡への祈りを、いちいちFB上で第三者が「写真のドレスアップ」という形式で表明する意味がわからない。

鎮魂や祈りは、これみよがしに他者に表明するものではない、と私は考えている。私は古風な人間なのだろうか?いや、単に「もし自分が犠牲者の遺族だったら」を想像するだけだ。

まして笑顔を介在させるという神経がわからない。僭越ながら私だったらZuckerberg氏にまず第一に「笑うな」という。

私は、”「パリ市民の安全と平和を願うプロフィール写真を設定しよう」キャンペーン”に参加するなとも、このキャンペーンに参加している人がダメだと言っているわけでもない。

少なくとも、笑顔の顔写真は「追悼」とは真反対にある、と憤慨しているのだ。

(略)FBの機能は、ボタンひとつの簡便なものだ。であるがゆえに「重要な何か」が欠落していると、今回のキャンペーンなどを観るたびに感じることがある。それは多分、他者への想像力だ。

FBプロフ「フランス国旗化」に対する強い違和感

Blogosでは少なくとも、マーク・ザッカーバーグよ、追悼なら笑うな。と批判されています。

当事者の気持ちがわかる?適当なこというなよ。

僕は上のような批判をしている人たちをみて、そういう視点で批判をしちゃう人って生きていて疲れそう!と思ってしまします。彼らの主張の中には「当事者だったら、どう思う?笑っている画像に国旗を重ねられても追悼と思えないでしょ。」という想像を根拠に論説が組み立てられています。逆に国旗をプロフィールにしている人も「自分がフランス人だったら、他国の人がFacebookでメッセージを送ってくれていることにうれしく思う」とかって言います。

本当に当事者だったらどうなのかなんて、当事者でない日本人がわかるわけないんですよ。水かけ論で無意味です。

ロシア機の事故やレバノンもテロ起きてるけど不平等じゃない?

それだけではありません。犠牲者の数だけ見ても、つい先日、エジプトでロシアの旅客機が落とされたばかりです。あれからまだ3週間ほどです。だって墜落したの10月31日ですよ?。

今回のフランスのパリの件だけ「テレビは終わってる!カットインをなぜしない???」と叫ぶ理由を聞かせてほしい。何を言ってるのかさっぱり分からないのです。レバノンなんて、毎日テロですけど?スポットライト

言いたいことはわかりますよ、長谷川さん。ロシア機の墜落では200人以上の人が亡くなっていますし、レバノンでもテロが起きていますね。そういった人がいるのにフランスだけ追悼されるのは不平等なんじゃないかということです。

しかし、マイナスメッセージを発信する差別とは違うので、いち個人に対して全人類の情報を常にキャッチアップして平等にメッセージを送れよ!という主張はあまりにも乱暴ではないでしょうか。ジャーナリストならそういう話してもいいかもしれません。常に最新の情報を正確に伝えるのがお仕事なわけですからね。

でも、例えばシステム開発会社でデスマーチが始まって、今週1週間家帰ってません、みたいな人もいるわけですよ。そんな人が全人類の情報をキャッチアップできるわけがないです。

結論、怒る必要はない

プロフィールページにフランス国旗をかぶせている人は特定の誰かをヘイトしているわけではないし、差別しているわけではないので、僕はそれに対して細かいこと言って怒る必要はないし、批判を考えてシェアする時間があったらもっと違うことに時間を使った方がより建設的だと思います。

それよりも、悪いことじゃないんだから。最初はまわりに合わせたノリでも良いので世界情勢に感心を持って、メッセージを発信する人を賞賛すべきですよ。ホントは。特に日本人はそういうの苦手なんですから、影響力がある人が叩いたら潰れちゃいますよ。せっかくSNS、インターネットの力で個人が発言できる環境が整っているので、悪いことじゃないかぎり、どんどん発信したほうがいいのです。

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