渋沢栄一から学ぶ「強くなる」とは「硬くて、柔らかく」なること

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僕は吉川晃司のこの言葉には半分同意で半分反対。

硬くなるところは徹底的に固く、柔らかくなるところはとことん柔らかく

世の中で人望にあふれ、人間関係の形成がうまくいっている人。いわゆるリーダーと呼ばれ、カリスマ性を発揮している人はこのパターンが多いです。わかりやすく言えば「芯が強い」芯なんです。自分の背骨となっている志とか正義の部分はどこまでも硬く誰にも譲らない。逆にそれとは関係のないところでは徹底的に相手の意見を受け入れる人が強い人なんです。

地震に強い建造物は硬くて柔らかい。

ちょっと話を変えて大きな地震が来た時に倒れない、免震構造というのを持った建物があります。ざっくり言うと一見、コンクリート性の外壁でがっしり固められているように見えるのですが、土台の部分が柔らかい構造になっていて地震が起った時に地震エネルギーを柔らかい部分で受け止めてくれるので崩壊しないんです。本質的には人間も同じで、自分の許容量を越えるネガティブなエネルギーにぶち当たった時に、エネルギーを流せる柔軟性があれば乗り切ることができますが、硬さしかないとヒビが入ってどこかでガラガラガラッと崩れてしまうんですね。

硬さとやわらかさで成功した渋沢栄一

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あるビジネス雑誌で経営者にアンケートした「理想のメンター」19位に選ばれた渋沢栄一という人物がいる。彼が活躍したのは江戸末期から明治初期にかけて。彼こそ志と柔軟性を兼ね揃えて大成した人物だった。

Eiichi Shibusawa young

元々、渋沢は尊皇攘夷派で幕府を倒すことを考えていた。結構過激な人なのだ。22歳の時には京都へ行って志士たちと合流しようとした。しかし、たまたま京都の志士が一掃されてしまった後で、意気消沈してしまう。

ここに現れたのが、江戸で遊学した一橋家家臣・平岡円四郎という人、平岡は渋沢から事情を聞くと、「You 一橋家で仕えなよ!」とジャニーさんばりに言ったとか言わなかったとか、とにかく倒幕を掲げていた渋沢をあろうことか一橋家に招く、この人も結構クレイジーかもしれない。そして渋沢は持ちあわせた柔軟性を発揮して一橋家(江戸幕府)に使えることになった。

元々、商人の家で英才教育を受けた渋沢なので、財務に関する知識とテクニックはぴかいちだった。徳川家最後の将軍、一橋慶喜は渋沢の財テクを徳川家のために使ってくれとお願いして、渋沢は快諾。一橋家の財務の重要な部分を担っていたという。そのこともあって渋沢は一橋慶喜の弟・徳川昭武のパリ留学へ同行することになる。

パリでみた近代的な社会は日本とはかけ離れていたことに渋沢は衝撃を受ける。とくに株式制度や銀行の存在。お金がある人が無い人に資金を貸したり投資して、お金が無かった人が事業でパリのビッグドリームを掴む姿が特に衝撃だった。普通だったら「すげー」、「レポートして報告しよ!」くらいでとどまるところだが、渋沢はこの「近代的な仕組み、日本でも導入してやろう!」と考える。そして、パリに滞在中に渋沢に一報が入る。

「【悲報】徳川幕府終了のお知らせ」(※実際のものとは違いますw)

徳川幕府に忠誠を誓っていた幕臣という立場なので、当初渋沢は動揺した。近代的な社会経済システムも日本のために導入したかったが、それは江戸幕府ありきの話だった。静岡に隠居した一橋慶喜を訪ねていった渋沢。「よしのぶさん、俺、将軍じゃなくてもよしのぶさんに付いていきますわ!」と言ったが、慶喜は「バッキャロ!お前は新政府へ行け!そこでお前の能力発揮して新しい国を作るんだ〜!」と言った。

ちょうどその時当時の大蔵省から「倒幕しましたが、近代社会・経済システムがわからなすぎてもう無理」。と手紙が来て渋沢は当時異例中の異例、元幕府側の人間として新政府の大蔵省に入賞するのであった。その時の年齢が20代なかばというからおじさんもうやる気なくなっちゃう。

大蔵省でもバチバチやった渋沢、それもそのはず、元々は敵味方の立場だった人たちと一緒のオフィスで働くわけですから超アウェーですよ。しかし、渋沢の志は硬く揺るがない。「日本に近代経済システムを導入するんだ!!」その後、あまりにもバチバチやり過ぎて、井上馨など、上司と折り合いがつかなくなり大蔵省を辞める。

ここで、タダでは起きないのが渋沢だ。実は大蔵省にいた時に仕込んでいた条例「国立銀行条例」日本で初めての銀行を作れる法律だった。その法律が施行されると渋沢はすぐに動いた。第一国立銀行の設立。そして渋沢は初代頭取に就任する。当時の日本では銀行が何かもよくわかってなかったのであんまり話題にはならなかったかもしれない。今で言うベンチャー企業のような感じ。

そして、渋沢は第一国立銀行を使ってバンバンお金を貸して行った。「事業を起こして日本を盛り上げろやー!!」頭取を辞めた後も実業家としておじいちゃんになっても活動を続けた渋沢は最終的に、作った会社は500社。

第一国立銀行ほか、東京瓦斯、東京海上火災保険、王子製紙(現王子製紙・日本製紙)、田園都市(現東京急行電鉄)、秩父セメント(現太平洋セメント)、帝国ホテル、秩父鉄道、京阪電気鉄道、東京証券取引所、キリンビール、サッポロビール、東洋紡績、大日本製糖、明治製糖など、多種多様の企業の設立に関わり、その数は500以上といわれている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%8B%E6%B2%A2%E6%A0%84%E4%B8%80

と現代でも名だたる企業の創業に関わったと言われている。なんでそこまでできたかというと半端ない強さがあったから。彼の芯は「論語」という中国古典でできている。渋沢は道徳規範を論語で学びそれを徹底した。世の中のためになることをやる。と。そしてそれだけではない柔軟性。倒幕派から幕臣になり新政府役人から実業家。と彼にとってはジョブチェンジなど硬く固執することではなかったのだ。だから次々に職を変えた。

そして最終的に500社の日本の礎となる企業を創りだしたのだった。彼から学ぶ「硬くて、柔らかい」強さ。僕もこういう人物になりたい。


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